2012年11月の健康便り —メンタル—

大学における「学び」

学問の秋とも言われますが、大学は学問を追求するにはうってつけの場所のはず。しかし、高校までの授業と、大学の講義やゼミは質が違います。そのことに戸惑って、自信ややる気を失くしてしまった方もいるのではないでしょうか。

高校までの授業では、先生が吸収すべきものを与えてくれます。例えて言えば、出される料理をひたすら食べていればよかったのです。もちろん、みなさんはきちんと食べて、知識と思考力を吸収したので大学に入ることができたのです。

しかし、大学の講義やゼミでは、吸収しきれない知識を怒涛のごとく話す先生もいますし、結論が出ていない問題についてあれこれ議論するだけで終わる先生もいます。こちらが質問しないと何を言っているのかよくわからない先生もいます。

ここで学生に求められているのは、自分でなにを吸収すべきか選ぶこと、自分で調べて考えを進めること、そして自分で知識を取りに行くことです。先ほどの例えで言えば、もう待っていても料理は運ばれてこないことが多いのです。

この変化に気づかないと、大学の先生に対して、教師としての義務を果たしていないという不満を持つことになります。メンタルヘルス相談窓口でも、「指導教授がきちんと指導してくれない」、「学生をほったらかしにする」、という相談を受けることがあります。たしかにあまりにも怠慢な先生もいるようですが、学生の側が料理を待つような受身的な姿勢でいるために問題がこじれている場合もあるようです。

彼らは、それまでの学業成績はとても優秀だったりします。つまり、与えられたものを吸収することは得意なのです。しかし、与えられるまで自分が何を知らないのかを知りません。そのため、自分から「知りたい」という強い気持ちも起きないのです。求めるものがあいまいなので、先生が何か教えてくれるのを待つしかありません。「よくわからないけど必要なものだけ過不足なく出してくれ」というのでは先生も困ってしまうでしょう。

こういうときに必要なのは好奇心です。それは自分が何を知らないかを知り、それを知りたいと思い、自ら求める心です。「自分は○○のことがわからないから、教えてほしい」、「自分はこう考えるのだが、先生はどう思うか」という問いには、先生は真剣に答えてくれるでしょう。