2013年2月の健康便り —メンタル—

鬼は外、福は内の心理

 節分の日には「鬼は外、福は内」と言って豆まきをするのが日本人の風習です。決まり文句なので、何気なく言っているかもしれませんが、今回はその意味を考えてみましょう。
 「鬼」は病気や災厄など、忌み嫌われていて、私たちが避けたいものの象徴のようです。「福」はもちろん幸せのことです。ですから「鬼は外、福は内」とは、嫌なものは自分の外に出し、良いものは自分の中に取り込みたいという欲求を表現しています。

 ところで、人間の情緒の発達は快と不快の区別から始まると言われています。小さな子どもは心地よいものを欲しがり、不快なものは早く取り除いてしまいたいと望みます。たとえば、お母さんが「痛いの痛いの飛んでいけー」と言うのは、この望みを叶えているのです。小さな子どもは空想力が強いので、そう言われると本当に痛みを忘れてしまったりします。少し大きくなると、実際には傷は治らないし、まだ痛いことに気づきます。しかし、お母さんにいたわってもらうと痛みを我慢できますし、我慢するとお父さんから褒められたりして、そのうち傷が治ることを知ります。こんなふうにして、私たちはすぐに取り除けない不快があることや、それでもいずれ苦痛は和らぐことを学んでいきます。

感情の場合も同じで、怒りや恐怖などの嫌な感情は早く取り除きたいものですが、最初はお母さんにその感情を吐き出し、「大丈夫、大丈夫」となでてもらわないと耐えられません。しかし次第に、自分自身でその感情に耐え、和らげることができるようになっていきます。すると、怖さと楽しみが統合された「好奇心」や、「雨降って地固まる」と言われるような人生の深みを味わうことができるようになります。大学合格のときにみなさんが味わった達成感も、つらく不安な時期をいったん耐えた人にだけ味わえる感情ですね。

このように、快と不快を分け、不快を取り除くという心のメカニズムから、不快に耐えて物事の豊かさに気づけるように変わっていくことが、私たちの心の成長と言えるでしょう。「鬼も内」だと知ることで「福」を守ることにきゅうきゅうとしなくなるのです。
そう考えていくと、「鬼は外、福は内」とは、小さな子どもの心理状態を表現していることに気づきます。私たちは現実には「鬼は外、福は内」というわけにはいかないことを知っています。ふだんから「鬼は外、福は内」を地で行く人は、「わがまま」とか「子どもっぽい」と言われているのではないでしょうか。
でも、「鬼も内」だと知った人も、年に一度くらいは子どもの心に戻って「良いことだけ来い」と言いたくなるかもしれません。節分の日は、そんな気持ちで思いっきり豆をまいて一時の解放感を楽しんでみてはいかがでしょう。