2013年3月の健康便り —メンタル—

かなしみのススメ

 3月は別れの季節です。卒業生は今まさにそれを感じるでしょう。在校生も高校の同級生との別れを思い出す季節かもしれません。別れはかなしいものです。「かなしみ」はどちらかといえば不快な感情でしょう。自分からかなしみを求める人はあまりいません。しかし、「かなしみは不快だ」と断じてしまうと、何かひっかかる感じがしませんか。ドラマや映画でも、「かなしい」シーンは感動を呼びます。「憎しみ」や「蔑み」は後味が悪いですが、「かなしみ」は余韻を残します。今回はそのことについて考えてみましょう。

「かなしい」は古語では「悲し」とも、「愛し」とも書き、嘆かわしい気持ちと何かを愛でる気持ちの両方を意味していたようです。私たちが「かなしい」と感じるときを考えてみると、肉親、友人、恋人との別れや死別といったことがまず思い浮かぶと思います。つまり、「かなしい」という感情は、大切な人への愛情が前提とされています。愛する人との別れだからこそ「かなしい」のです。誰かとの別れが「かなしい」のは、その人と良い関係を築けたことの証であり、とても成熟した感情体験なのです。

 ところが、私たちは「かなしみ」がつらいために、「かなしみ」を消そうとすることがあります。たとえば、「振り返ってみると、たいした友達はいなかった」とか、「情けない男と付き合ってしまったものだ」と考えたりします。周りの人も「早く忘れなさい」なんて言ったりします。本当は大切な相手ではなかったと考えれば、別れはかなしくないからです。また、「友達よりいい企業に就職できた」と悦に入ることもあります。勝ち負けの対象に過ぎない相手なら、別れを惜しむ必要はないからです(「ライバル」という言葉には、勝ち負けを越えた友情が含まれているので、この限りではないでしょう)。
このように、相手の価値を下げたり、勝利感に浸ったりすることによってかなしみを消すことを、精神分析では躁的防衛と言います。躁的防衛によって、表面的には楽な気持ちになることができます。しかし、その代償として、相手との良い思い出は切り捨てられ、相手から学んだことは無価値にされます。結果として、「結局大切なのは自分だけ」という自己中心的な世界に生きることになるのです。

 私たちが躁的防衛を乗り越えて、別れを「かなしむ」ことができれば、その相手は大切な思い出として心に残ります。それは、今後また人と良い関係を築くための土台となり、孤独なときには心の支えにもなります。また、相手から学んだことを自分の糧とすることができます。結果として、心はより豊かになり、逆境を生き抜く力になります。いろいろな人と出会えるのも大学の魅力ですが、1つ1つの出会いと別れを大切にしたいですね。