2013年7月の健康便り —メンタル—

完ぺき主義者の不安

 何事もできることはすべてやらなければ気がすまないという人がいると思います。完ぺき主義な性格の人です。この性格が功を奏してみんなから評価されていることも多いものです。しかし、その裏である種の不安に脅かされていることもあります。

 Eさんは大学内では優等生で通っています。Eさんのノートには講義の板書はもちろん、先生が解説したことも細大漏らさず書き込まれていて、このノートのコピーさえあれば単位は確実と評判です。そんなEさんも3年生になり、卒業論文のテーマについて考えるようになりました。Eさんは過去の研究を調べ上げ、問題点を洗い出しました。指導教授もその分析能力を高く評価しています。しかし困ったことに、Eさんは自分の研究テーマを決めることがどうしてもできません。なぜなら、どんなテーマを思いついても、それに対する問題点と欠点がすぐに思い浮かんで、そのテーマが有意義なものだと思えなくなるからです。Eさんは「このままでは卒業論文が書けない」と不安になり、焦り始めました。

 Eさんに何が起こっているのでしょうか。まず言えるのは、今まで過去の研究に向いていた批判が自分自身に向いているということです。しかもその批判は欠点を探して長所を潰す「容赦のない」性質を持っています。一方、Eさんは過去の研究を批判的に検討しておきながら、自分自身は絶対に批判されない完ぺきな研究をしようとしています。その背景には、「自分は全部わかっているはず」という理想の自分が見え隠れします。

 指導教授は、Eさんを学会に連れて行ってあげました。Eさんはそこで、尊敬する学者の発表が批判にさらされるのを目の当たりにしました。学者は負けずに反論しました。その後出版された学者の論文には、学会で受けた批判が取り入れられ、さらに考察が深められていました。批判は学者を潰しませんでしたし、学者も批判を無視しなかったのです。

 Eさんは次第に、自分が批判されるのを極度に怖れていることを理解し始めました。欠点を指摘されることは生き恥をさらすことであり、絶対にあってはならないと思っていました。しかし、あの学者でさえ学会では批判されました。良い論文が書けるのは、その戦いを生き抜いた結果だったのです。

 Eさんは今の時点で考えている研究テーマを、ひとまず指導教授に提出してみることにしました。完ぺきなものではありません。きっと問題点を指摘されるでしょう。冷や汗ものです。でもそれが、何かを生み出す第一歩だと、Eさんは気づきました。

 ※上記事例は、「学生生活無料健康相談テレホン」の複数の相談例に基づいて創作した架空の事例です。