2013年10月の健康便り —メンタル—

自分らしくなれない

 「みんなは楽しそうでいいなあ。自分らしく生き生きとしている」。Hさんはいつもそう思って、みんなを羨ましく見ています。Hさん自身は何をやっても、「間違いなく自分の意思で選んだ」という自信が持てません。楽しくないわけではないのです。野球が好きで、プロ野球観戦サークルに入っていて、応援しているチームが勝てば嬉しいと感じます。しかし、サークル活動だから仕方なくみんなと観戦しているのであって、自分は本当にその日に観戦したかったのか疑問が沸いてきます。野球が好きなのは間違いありませんが、それも元をたどれば両親が少年野球チームに入れてくれたのがきっかけです。自分で選んだわけではありません。別の家に生まれていたら、サッカーチームに入れられて、サッカー少年になっていたかもしれません。そういえば大学もそうです。法律に興味を持って法学部に入りましたが、就職のことを考えて有名大学を選んだという打算もありました。今の大学を選んだ主体的な理由は正直言ってわかりません。自分にぴったりだと思える自分らしい生き方をしたいと、Hさんは常々思っていますが、なかなか自分らしくなれません。

 Hさんの悩みは深いようです。しかし、そもそも「自分らしさ」とはなんでしょう。Hさんは、みんなが持つ「自分らしさ」に憧れていますが、みんなはHさんが思うほど「自分らしく生きている」と思っているのでしょうか。

 きっかけは親の勧めでも、本人が好きでなければ続きません。逆に、親が勧めてくれなければ、自分がそれを好きだということに気付かなかった可能性もあります。また、付き合いで周りに合わせることはある程度必要な協調性ですし、合わせるだけでなく自分もその場を楽しんでいたりするわけです。

 つまり、完全に自分の意思だけで選んだことなど実際にはほとんどありません。私たちの中には形にならない思いがあり、偶然の出会いや誰かの誘いが、その思いに形を与えるのです。どちらかが原因とは言えません。思いがなければ出会いを見過ごしますし、出会いがなければ思いがあることに気づきません。あえて言えば、自分と環境の間にしか「自分らしさ」は生まれないのです。

 その意味では、Hさんはすでに「自分らしさ」を発見しているはずですが、それを「自分らしさ」だと認められないようです。いつも周りに合わせてきたという思いもあるのでしょう。しかし、それは自分が環境との相互作用の中で生きていること、すなわち、みんなの世話になっていることを認められないということでもあるのです。

 ※上記事例は、「学生生活無料健康相談テレホン」の複数の相談例に基づいて創作した架空の事例です。