2015年6月の健康便り —メンタル—

自分を苦しめる考え方のくせ

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「最悪だ…、もうなんのやる気もでないや…」
あらあら次郎さん、ずいぶんと沈み込んでいますね。いったい何があったのでしょうか。

 大学に入って一人暮らしを楽しんでいる次郎さん、今日は久しぶりにお父さんと話をしたみたいです。その際に次郎さんの将来の話になりました。「将来のことはまだわからないや。今は毎日が楽しいし、サークルに打ち込んでいたいなぁ」こう言うと、お父さんは怒り出してしまいました。「そんな適当なことを言っていると、立派な社会人になれないぞ!男というものは目標をもって、それに向かって頑張るべきだ!将来の目標も持てないなんて、たるんでるぞ!」熱血漢なお父さんはいつもこんな感じです。昔から“男とはこうあるべき!"と精神論ばかりいう人で、大学受験の時も「頑張れ!頑張れ!」と散々どやされてきました。

「僕だって頑張っているのに、お父さんはなんでわかってくれないんだ!褒めてくれたっていいのに、こんなふうに怒られるなんて耐えられない…、最悪だ…」

 なるほど、次郎さんはお父さんから小言を言われて、ふてくされてしまっていたのですね。確かに、お父さんの考えは偏っているところがあるかもしれません。でも、家族といえども、自分の思い通りのことを言ってくれるとは限りません。そんなときは、自分の考え方のほうを少し変えるだけで、気持ちはずいぶんと落ち着くものですよ。では、自分を苦しめてしまう考え方には、どんなものがあるでしょうか。

 人は、生きているといろいろな要求を持ちます。その要求は、自分に対してだったり、他人に対してだったりと様々です。要求を持つこと自体は自然なことですが、その要求が固定した考え方になってしまうと、生きることが苦しくなってしまいます。

 たとえば、「私はすべての人から好かれなければならない」と考えて、自分に対する要求が強くなりすぎると、少しでも人から嫌われただけで感情が揺れ動いてしまうでしょう。また、「他人は私を大切にするべきだ」と考えて、他者に対する要求が強くなりすぎると、少しぞんざいに扱われただけで嫌な気分になってしまうかもしれません。

 さて、次郎さんの場合はどうでしょうか。確かに、お父さんに褒められれば、こんなにうれしいことはないですよね。でも、お父さんに認められなかったとしても、次郎さんの頑張りがなかったことにはなりません。今は将来のことが思い描けないかもしれないけど、大学は自分のやりたいことは何かを模索する場所でもあります。今、目標を持てないからといって立派な社会人になれないとは限らないでしょう。

「嫌な気分にはなったけど、我慢ならないほど最悪ってわけでもないか…」冷静になって考え直したところ、次郎さんは少し気持ちが落ち着いてきたみたいです。これからも、偏った考え方をする人には出会うことでしょう。ときにはぶつかり合ってしまうかもしれませんが、自分の考え方を調整して、うまく気持ちをコントロールしたいものですね。