2015年8月の健康便り —メンタル—

自分の価値

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 次郎さんは絵を描くことが大好きです。高校の頃は美術の授業で評価されたこともありましたし、人気漫画のイラストを描いたときは、仲間内での評判も上々でした。勉強がうまくいかなくて悩んでいるときも、得意の絵を描いているときは自信が持てました。みんなから褒められるので、絵を描くことは今でも次郎さんの心の支えになっています。

 そんな次郎さんが大学に入って所属したサークルは漫画研究会です。夏のイベントに向けてサークルメンバーで同人誌を作り始めたのですが、どうしても次郎さんの絵が採用されません。一緒にサークルに入ったA君は次郎さんよりもキャッチーな絵を描くため、彼の絵ばかり採用されることになってしまいました。

「ああ、僕は得意な絵でA君に負けてしまった。僕はなんのとりえもない無価値な人間になってしまったんだ…もう絵を描くことに意味なんてないよ…」

 A君と自分の絵を比べて落ち込んでしまった次郎さん。はたして、次郎さんは価値のない人間なのでしょうか?絵を描くことに意味はないのでしょうか?

 そもそも、人は他人と自分を比べて評価してしまうものです。他人と自分を比べて、自分の劣っている部分を認識して、それを克服しようと努力することが、自分を成長させるきっかけになることもあるでしょう。しかし、人との違いをどう受け止めるかは、自分を苦しめるきっかけにもなってしまいます。例えば、次郎さんが無意識にでも「僕の絵はどんなときでも人より優れていていなければいけない。人は僕の絵を褒めてくれて、僕を満足させないといけないんだ」という考えになっていたらどうでしょうか。きっと、自分より絵がうまい人との出会いは、次郎さんにとって自分のあり方を脅かす脅威となってしまうでしょう。

 精神科医のヴィクトール・E・フランクルは、生きる意味を感じる3つの価値の大切さを語っています。何かを作り上げるという「創造価値」、素晴らしい体験をするときに感じる至高的な「体験価値」、そして、出来事にどう接するかという「態度価値」です。

 次郎さんにとって絵を描くということは、頭の中にあることを形にするという創造的なものでした。そして、その絵を通して友達とコミュニケーションをするという素敵な体験のためのツールでした。これらのことが、次郎さんにとって絵を描くことの意味だったのです。しかし、絵を描くという出来事と接するときに、次郎さんは「僕の絵は人から評価されなければならない」という態度になっていました。これでは、もともとあった創造価値や体験価値が隠されてしまいますね。

 さて、絵を描く意味を見つめなおした次郎さんは、知らず知らずのうちに、絵に対して行き過ぎた考えをしていたことに気づきました。そこで、次郎さんは、A君にキャッチーな絵を描くコツを教わることにしました。絵を描くということが、A君と仲良くなるという体験に結びついたわけです。今回はちょっと悔しい思いをしたけれど、研究会として素敵な同人誌が創造できるといいですね!