2016年5月の健康便り —メンタル—

「被害者」と「加害者」は紙一重

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 久しぶりに帰省した次郎さんは、地元の友人達と一緒にいつものファミレスへ出かけました。いつもの顔ぶれだと思っていたら、一人足りません。「Fは今日、来ないの?」と聞くと、「あいつ、今、大変なんだよ」と、数か月前にF君が起こした自転車事故の話をしてくれました。

 商店街の三叉路でおばあさんとぶつかり、転んだおばあさんは大腿骨を骨折して入院。歩行中のおばあさんは「被害者」、自転車に乗っていたF君は「加害者」となってしまったのです。事故は地元紙の記事になるくらい、F君の周囲は騒然としていたそうです。「おばあさんのケガも回復に向かっているし、補償も保険でなんとかなったみたいだけど、Fの方が落ち込んじゃって、今も大学休んで引きこもってるんだ」と心配そうに話してくれました。

 「子どもの頃、よく親に“車に気をつけなさい”とか言われたけど、あれって車にひかれるなってことじゃん?自分が人をひいて、加害者になるなんて思ってないもんな…」「新聞に名前は出なかったけど、この辺だったらFだって分かるよ」「俺がFだったら、やっぱ落ち込むよ。Fが100%悪いわけじゃないし、あいつだってケガしたんだぜ。だけど相手は老人だし、骨折までしてたら言い訳できないでしょ」とみんなが話しているのを聞きながら、次郎さんはF君の気持ちを考えていました。

 普段、何げなく乗っている自転車が凶器になって、ある日、突然「加害者」になってしまったF。事故の瞬間、ものすごく焦ってパニックになったに違いない。救急車が来て、警察官に事情を聞かれ、野次馬に囲まれて、Fだって怖かったと思う。自分のケガの痛みなんて感じないくらい、動揺しただろう。明るくて、冗談ばっかり言っていたFが家から出られないなんて、相当なショックを受けたんだ。他人にケガをさせてしまったという重苦しい辛さを、Fは一人で抱え、身動きできなくなっているんだ。不謹慎だけど、相手が骨折くらいで済んで良かった。

 話し声が途切れた時、みんなが「自分だって、いつFの立場になるか、分からない」と思っていました。次郎さんは「被害者と加害者って紙一重だよね。どっちの立場になるか、誰にも分からないよ。でもさ、どっちにもなり得る可能性があるってことを、ちゃんと注意しながら生活していかなきゃだめだよね。自分には関係ないって話じゃないんだ!」と一気に言いました。

 いくら気をつけていても、事故を完全に防ぐことは不可能。ただ、小さな気のゆるみが積み重なって、大きな事故につながるのだとしたら、今の自分にできるのは、些細なことにも「注意」を向けることしかない。大事な仲間であるF君の事故を通して、手軽に乗れる「自転車」という乗り物の危険性を十分に理解して、交通マナーやルールを守っていかなければ、と次郎さんは思いました。

 F君の抱えている辛さをどうしたら軽くしてあげられるのか、いつになったらF君が元の生活に戻れるのか、次郎さんたちには分かりません。ただ、今日の集まりを知らせたLINE(ライン)をF君が既読にしていたのを見て、みんなは少し安心しました。