2019年9月の健康便り —メンタル—
健康管理センターの相談室前で入りづらそうにしている男子学生を見つけたキムラさん。「こんにちは」と声をかけたところ、「あ、どうも」と小さな声で返事をしてくれたのは、3年生の高木さんでした。「暑かったでしょう。よく来てくれましたね。さあ、中にどうぞ」キムラさんは優しく声をかけながら迎え入れます。
「どこから話したらいいかわからないんですけど…」と言いながら、高木さんはポツリポツリと話し始めました。「親から学校のこととかバイトのこととかいろいろ言われて、ムシャクシャしたからTwitterに『死にたい』ってつぶやいたんです。そしたら、『俺も死にたい』って言ってくる人がいたり、『大丈夫?』って心配してくる人がいたり。中には、『そんなこと言うものじゃない』って説教してくる人もいて。本気で死にたいわけではなかったんですけど、皆の反応見ていたら、自分でもよくわからなくなってきました。」
本気ではなかったにしろ、「死にたい」という言葉の中には、高木さんの大事な思いがあると感じたキムラさんは、「死にたいとつぶやきたくなるくらい、苦しい気持ちになったんですね」と受け止めました。「死にたいという言葉の奥には、高木さんの本当の気持ちが隠されているような感じがしたよ。ムシャクシャしたって言ってたけれど、それはどうしてだろう?」
キムラさんの言葉を聞いて、高木さんはしばらく考えます。「う~ん、何だろう…、親の考えを押し付けられたことに腹が立ったのかな。いや、それより僕の考えを分かろうともしてくれないことに、あ~、またか、って思って悲しくなったのかもしれない」
キムラさんからの質問に答えているうちに、高木さんは「分かろうとしてもらえない悲しさ」を「死にたい」という言葉にしていただけだということに気づきました。
「死にたい」という言葉は、言葉通りの意味を示す場合もあれば、高木さんのように、自分の本当の気持ちを、「死にたい」という言葉に置き換えて表現している場合もあります。どちらにしろ、大切に扱わなければならない言葉なのですが、その言葉を受け取る側には、言葉通りの意味か、裏に別の気持ちがあるのかまではわかりません。そのため、受け取った側の解釈によって、共感されたり、否定されたり、思わぬ反応が返ってくることにつながってしまうのです。
「皆の反応に振り回されていたけど、本当の自分の気持ちが分かって、ちょっとスッキリしました。思い切って話してみて良かったです。今度、同じようなことを親に言われたら、分かろうとしてもらえないことが悲しい、って言ってみようかな」そう話す高木さんの顔が、来た時よりも晴れやかになっているのを見て、少しホッとしたキムラさんでした。